ホームページというものは、本来であれば静的なページが多く、いつ見てもコンテンツに大きな変化がない限りは、いつ見ても同じ感じが一般的ですが、それだけでは寂しいなと思い、こうしてブログを綴ることも、始めてみようかな。とも思ったわけです。そして、このブログでは僕が経営者になろうと思ったことから、起業するまでに至った中で日々感じたことや考えたこと。そして実際に行動に移して、その行動に対しての結果はどうであったかなど、個人的な感情もあれば、ちょっとビジネスっぽい内容までなんでもありの、”はまブログ”です。
労働者より経営者で在りたい
現時点(2025/02/15)では、大型トラックドライバーをしています。サラリーマンに嫌気がさしたわけでもないんですが、自分で何か事業をもう一度はじめてみたい!と強く思っていたのです。
もう一度っていう言葉に、え?どゆこと?と感じた方も少なくはないと思いますが、20代後半くらいの頃に住宅リフォーム関連の住宅塗装事業で塗装職人として独立し、独り親方として自営業をしていた経験が過去にあったりで、それもありもう一度したいな。というところに結び付くわけです。
現在大型トラックドライバーをしていて路線便の仕事をやっています。日頃仕事をする中で、運送事業で独立したいと考えましたが、さすがにトラック1台1000万円以上もするのに、貯金もあるわけないし、まず完全に無理だな。と即断しました。それから毎日のようにいろいろ考える中で、(そういえば個人宅向けの宅配事業者はアマゾンフレックスなどの軽貨物配送とかあったりするけど、レジャー用品に特化した配送事業で日本にないんじゃないのかな)と感じたんです。
レジャー用品を、シンプルに運ぶということは既に大手運送企業が行っていますが、それはあくまで梱包されたものを運ぶ従来からあるもので目新しさは何もありません。ですが、個人向けに ”レジャー用品+笑顔になる嬉しいサービス” を運ぶといった配送事業は、もしかしたらないかも!と思ったわけです。それと同時に思ったことがあるんです。儲けにならないから・事業として成り立たないから。っといった理由から誰もやらないから、競合がいないんじゃないか。とも考えました。
元々は個人宅へレジャー用品の集荷に伺い、キャンプ場や海まで荷物をお運びするといったビジネスモデルを展開していく予定でした。しかしここで大きな壁にぶつかります。
キャンプやマリンレジャーは季節に大きく左右される
春や夏に集中するイメージが圧倒的に強く、秋冬を乗り越えるには勝算が見えないな。と考え、秋冬を乗り切れる事業はなにかないものかと日々考えていました。そのときにスキーやスノボ用品を個人宅からスキー場まで運んでみてはどうかとも考えましたが、リサーチするうちに今の時代、ほとんどレンタルで済ます人が多いことがわかりました。本当に好きでシーズンになれば毎回足を運ぶような人は、マイカーにキャリアをつけているでしょうから、自分で現地まで運べてしまいますからね。
なので、ウインタースポーツは需要ないだろうなと思い、即座に却下しました。他に何かないものだろうか…と模索していたときに出会ったんです。
岐阜県の下呂温泉での手荷物配送という事業プランとの出会い
幸運にも自身が住んでいるのも岐阜県ですし、下呂市までは車で2時間あれば行ける多治見市に家を構えてますし、決して行くことが難しい距離ではないな。と思いまして即座にリサーチ開始です。全国的にも結構な観光地で普及しはじめている手荷物配送ですが下呂温泉には、どの業者も参入していない状態でしたし、駅から温泉街は近いし、これワンチャンあるかも!って本気で思ったんです。
それから国内ですでに手荷物配送が普及している温泉地などに電話をして実情をお伺いしたり料金形態などを調べました。結構、料金設定は土地によって様々で安いところですと無料(自治体が運送事業者へ税金で支払っている)があったり、荷物1つ500円というところもありましたが、500円では利益が出せないとも聞きました。そのなかで荷物1つで1000円とれば細々とならやっていけるかもしれないですよ。というお話も聞くことができました。
はじめは春夏はキャンプ用品配送などで秋冬の施策として温泉地での手荷物配送を思いつきましたが、考えたりリサーチしていく中で、僕の心は大きく揺れ動き、気づけば手荷物配送をメイン事業に据え置こうという決断に変わっていったのです。
おわりに…起業は夢をみるところから全ては始まる
自分がどう在りたいか、どうなっていきたいか、何をしていたいか。などの未来の自分への妄想を膨らませて夢を見れない人は起業の”き”の字にすら縁がないことだと個人的には思っています。
叶えたい夢への距離が一番遠いところを、僕は叶わぬ夢…と思っています。その次、夢への距離が一番遠いところに比べると少しは近くにありそうにも思えるところを、僕は奇跡が起きたら叶うかもしれない夢…と思っています。その次、気合いで頑張って精一杯努力して勉強して偶然が重なったらいけるかもしれない!という最も夢への距離が近くに感じられそうな夢を、僕は夢とは呼びません。それは目標だと捉えているんです。
人のみる夢って積み木のように上へ上へ積み上がっているように思ってるんですが、夢は手をどれだけ伸ばしても絶対に届かないところにあるものだと思っていて、目標は努力と偶然が重なったら手を伸ばしたら掴み取れるもの。と子供の頃からずっと思って生きてきました。なので、自分の手を伸ばした先にある目標を掴みとったら、二段目に積み上がっていた夢は、次の一段目になり、それは夢から目標へかわっていくんです。奇跡が起こることなんて神秘的なことですが、偶然って、たまたま・ふとした瞬間に…など100%起こらないことでもないと考えています。偶然って、言葉を言い換えれば僕からしたらチャンスなんじゃにかなと思っているのです。つまり夢を見れる人は、その夢を形にできる能力が潜在的に眠っているのかもしれませんよね。